和紙で遊ぼう(五箇山和紙)(2019.10.25)

藩政時代加賀百万石の領地で、五箇山和紙に関する古文書や記録文献が残っており、 トチやケヤキの大木をくり抜いた、紙漉き舟・楮剥皮用のたくり舟・楮煮用灰箱など、極めて原始的な道具が残っている点は、 殆ど全国的にその例がありません。したがって、奈良や京都から直接伝えられた和紙の技法が山村の人々によって独自の和紙文化に形成されたものと考察される。

和紙漉き体験館内1

藩政時代の五箇山和紙は、天正十三年(1585年)頃は五箇山の産物である生糸とともに、年貢として納められていました。 又五箇山和紙は他に流出しないように、塩硝(火薬)とともに藩の指定生産物となり、合掌造りの大家屋の家々では多くの使用人を雇って、夏は塩硝や楮の栽培、冬は紙漉きをするといった工場的な形態で和紙を製造していました。

和紙漉き体験館内 2

昭和六十三年(1988年)五箇山和紙は、八尾町・朝日町で生産されている和紙とともに、「越中和紙」として国の伝統的工芸品に指定され、その長い歴史と伝統、山里の自然が育んできた和紙文化として改めて評価されました。 現在、桂離宮の障子紙をはじめ宮内庁や国の重要文化財の補修用紙に、なくてはならない存在となっております。

お土産の「和紙で遊ぼう」

また、ちぎり絵や様々な美術工芸品の素材や版画・絵画など芸術家からの特注品にもなっており、富山県内・地元南砺市においても、建築施設や祭り行事・学校の卒業証書・一般のご家庭とあらゆる場面で、生活に癒しを与えている。

店の近くの桑科の落葉低木樹 「楮(コウゾ)」

コメントを残す