豊中市桜塚古墳群を訪ねて②(2019.11.27)
「桜塚古墳群」は豊中台地の中央の標高約20m~25mの低位段丘上に立地する古墳群で、古墳時代前期後半(4世紀)及び中期末~後期初頭にかけて(6世紀)の2時期にわたって形成されたと言われる。
造成は5世紀初め頃とみられ、墳頂部には南北方向に主軸を採る並列された3体の主体部が存在した。 高さ約18mの3段築成の円墳であり、幅12~13mの周濠を含めると直径約80mに達する。主体部は大きく分けて東槨(かく)と西槨と呼ばれているが、東槨は拳大の石で棺の両端を取り巻くように充填させる特異な構造であるが、その殆どがすでに流失。西槨は盗掘により大きく損壊していたが、長さ7.1mにも達する長大な割竹形木棺が2つ南北に並べられていたという。
「御獅子塚古墳」は南面する前方後円墳で「桜塚古墳群東群」を代表する古墳の一つです。「大塚古墳」に次ぐ規模を有し、周濠を含めた全長は70mである。墳丘は2段築成で、2段目斜面のみ葺石を施すという特異な外観を呈する。
「南天平塚古墳」は3/4が道路によって破壊された後、残った1/4の部分を対象に豊中市教育委員会が再調査を実施した。その結果、一段目のテラスの埴輪列の上に幅7〜8mの周壕を有することが明らかになった。そして、墳頂の下2.5mから2個の割竹形木棺が発見された。
「原田神社」は社伝によると、桜塚古墳群の故地に4世紀中~5世紀末頃創建されたとされ、古代には素戔嗚尊など五神をまつり「祇園神社」と称した。