古文書に見る:織田三代の事(2020.2.1)

明智光秀の謎の出生年は4つの説があるが、享禄元年(戊子。1528年)8月17日(3月10日とも)生まれ(『明智軍記』)享年55歳、謎の父親は養父は光綱(実父:山岸信周)として、解読されている。 明智光秀の出生地は可児市の明智城(長山城)で、「山崎の合戦」で自刃したと言う説。(田中 豊氏等の資料参照)

岐阜市黒野古市場の旧家國島家に伝えられ、現在は岐阜市城田寺に居を構える國島氏所蔵の古文書です。平成10年10月、相模守隆重末裔の國島隆重氏の格別のご厚意により復刻版として公開されました。

田中 豊編『岐阜市城田寺 國島家文書』

揖斐川町として、揖斐川町古文書講座講師の田中 豊氏の講演会等を随時開催し、理解と関心を深めて来ました。その結果揖斐川町は明智光秀は勿論の事、その子孫や家臣まで数多くの足跡が残されており、まさしく明智光秀ゆかりの地であることが明らかになってきました。今回その集大成として、ここに資料集が作成されました。

東京大学資料編纂所蔵及び林則夫氏所蔵・・講習時300円で購入
田中 豊講師が土岐氏の説明をされた・・斎藤道三が茶で毒殺?
昨年行われたチラシ
明智光秀の説明用のチラシ

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