旅:日本の街道2-2 中山道(福島~馬籠宿)(2020.5.25)
上松宿は中山道38番目の宿場(中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡上松町に位置する。十王橋から上町・本町・仲町・下町で、古い町並みが残るのは上町である。
十王橋から上町・本町・仲町・下町で、古い町並みが残るのは上町である。
須原宿は中山道39番目の宿場(中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡大桑村に位置する。木曽川の氾濫で流失し、享保2年(1717年)に現在地へ移転した。
野尻宿は中山道40番目の宿場で、現在は長野県木曽郡大桑村に位置する。
三留野宿は中山道41番目の宿場で、現在は長野県木曽郡南木曽町に位置する。
妻籠宿は、中山道42番目の宿場(中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡南木曽町に位置する。(蘭川東岸)
隣接する馬籠宿(長野県:旧山口村→岐阜県:中津川市)と、馬籠峠を越える旧中山道史蹟と合わせて、木曽路を代表する観光名所で外国人を含めて旅行者が多い。
馬籠宿は、中山道43番目の宿場(中山道六十九次)で、木曽11宿の一番南の宿場町である。
かつては長野県木曽郡山口村に属したが、2005年(平成17年)2月の山口村の越県合併により岐阜県中津川市に編入された。
石畳の両側にお土産物屋が並び、ほぼ中間地点に旧本陣であった藤村記念館(島崎藤村生家跡)がある。
馬籠は源義仲(木曽義仲)の異母妹・菊女が源頼朝から賜ったもので「美濃州遠山庄馬籠村」(1215年)と言い、長享元年(1487年)頃になると木曽馬籠や恵那郡馬籠と言ったりするようになる。
「現代日本の文学」5には、「幼き日」「桜の実の熟する時」「春」「藤村詩抄」「千曲川のスケッチ(抄)」が掲載されている。
「夜明け前」・・木曽路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く峠の道であり、あるところは数十年間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入口である。