旅:松尾芭蕉ゆかりの地3(2020.6.16)
「大智寺」は岐阜市にある臨済宗妙心寺派別格地寺院で、開創は1500年(明応9年)です。開山始祖は岐阜瑞龍寺悟渓和尚八哲の一人である玉浦宗眠で、開基人は北野城主:鷲見保重です。
樹齢800年を越す、「大ヒノキ」があります。
境内の本堂古瓦を使用した、瓦土塀(信長塀)が注目されている。
数年前にはこの中に入り句碑等の説明を受けましたが、その後「獅子庵」が改修されてからは入っていません。
「岐阜市歴史博物館」の開館15周年記念で開催された「芭蕉と支考」に行った時の写真です。・・デジタルカメラが古く、不鮮明です。
美濃派俳諧の始祖:各務支考は大智寺にて6~19歳まで大智寺の弟子として過ごし、1711年(正徳元年)この地に戻り終の棲家とした「獅子庵」が残っている。1731年(享保16年)この庵で没した。・・その時の「獅子庵」は別の場所にあった。「岐阜市の文学碑散歩(三木秀生著参照)」
「牛呵る 声に鴫たつ ゆふべ哉」
田を耕すための牛であろう。夕方まで田を相手に働いている百姓たちの姿が詠まれている。「岐阜市の文学碑散歩(三木秀生著参照)」
「支考」の遺骨を納めた、「梅花佛」の碑。
1688年(貞亨5年)6月17日に三ツ又村庄屋の神山(こうやま)長四郎 吉正(俳名:寸木)が、芭蕉・荷兮(がけい)・越人・落梧(らくご)・秋芳(しゅうほう 己百)の俳人と発句から6句までの連句を詠む。
「どこまでも武蔵野の月影涼し」・・寸木
「水相にたり三またの夏」・・芭蕉
「海老喰ひにむれゐる鳥の名を問て」・・荷兮
「ゑぼし着ぬ日のさらに楽也」・・越人
「懐を明てうけたる山ざくら」・・落梧
「蝶狂ひ落欄干のまへ」・・秋芳(己百)
寸木は、芭蕉が江戸深川の芭蕉庵の俳風を美濃へ持ち込んできたことを讃えて発句を詠んだ。
芭蕉は三ツ又も武蔵野もよく似ていると答えた。もちろん似ているのは地名や気候だけではなく、蕉風と通ずる美濃の俳風である。「こちらも立派な処です」と答えたのである。(案内板参照)
「どこまでも武蔵野の月影涼し」(寸木) ・・「広い武蔵野の隅々までも月の光が照り渡って、江戸の夏の月はさぞ涼しげでしょう」
「水相似(みあいに)たり三(みつ)またの夏」(芭蕉)・・「深川の草庵に近いあたりの三股とこの美濃の三股と、地形や水の趣は互いによく似ています。」
(三木秀生著:岐阜市の文学碑散歩参照)