旅:日本の街道11 京都・周山街道2-1(2020.7.4)
かって一条街道と呼ばれた「周山街道」は、洛中から西に延びる一条通に仁和寺街道が合流し、御宮から高雄(高尾)を経て、福井県の小浜へ至る全長126kmの街道である。
若狭から京へ日本海の幸を運んだ「鯖街道」の一つであるとともに、北区中川周辺に産する銘木の北山杉を京に運ぶ、木材運搬の道でもあった。
「周山街道」は現在の国道126号とほぼ重なるが、京と周山の間に400m級の笠峠・栗尾峠が立ちはだかり、かってはきわめつきの悪路だつた。
「妙心寺」は臨済宗妙心寺派大本山の寺院(林下派)で、開基:花園天皇・初代住職:関山慧玄である。京都の禅寺は五山十刹に代表される、室町幕府の庇護と統制下の禅林派と、修行を重んじる在野の林下派の寺院があった。
妙心寺住職の妹:慈徳院が織田信長の嫡男:織田信忠の乳母となり、その後に信長の側室になり、娘:三の丸殿(豊臣秀吉の側室)を儲けた。
「仁和寺」は光孝天皇の勅願で886年(仁和2年)に建て始められ、宇多天皇によって888年(仁和4年)に落成した。真言宗御室派総本山の寺院で、出家後の宇多法皇が住んでいたことから「御室御所」と称された。
吉田兼好著『徒然草』に登場する「仁和寺にある法師」の話は有名で、宇多天皇を流祖とする華道「御室流」の家元でもある。
「大覚寺」は真言宗大覚寺派大本山の寺院で、開基は嵯峨天皇である。嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院で、嵯峨天皇を流祖と仰ぐ華道「嵯峨御流」の家元でもある。
「清凉寺」は浄土宗の寺院で、開基:奝然(ちょうねん)・開山:奝然の弟子:盛算である。嵯峨釈迦堂の名で知られ、中世以来「融通念仏の道場」としても知られている。
「愛宕神社」の鳥居の近くには茅葺屋根の民家が有り、鳥居の右手には茶店「平野屋」がある。・・名物「鮎料理」が供される。
「嵯峨(野)」は嵐山から小倉山に沿った社寺の立ち並ぶ地域を指し、平安京の西方の郊外になる事から別名:西郊と公家達は呼んだ。
地名の由来については、「坂」或いは「険し(さがし)」等の地形に由来する説と、中国西安(長安)郊外の「巀嶭山(さつがつさん)」を「嵯峨山」と書いた説がある。
「嵯峨野さやさや」という歌にて、嵯峨野を紹介する。
作詞:伊藤アキラ 作曲:小林亜星 歌手:たんぽぽ
「高雄(高尾)」は近隣の槙尾・栂尾(とがのお)と合わせて三尾と並び称され、高雄山麓の渓谷には清滝川が流れ紅葉で名高く、八代将軍:足利義政が毎秋足繁く通ったと言われる。
「神護寺」は和気氏の私寺であったと思われる「神願寺」と「高雄山寺」という2つの寺院が、824年(天長元年)に事実上合併してできた寺である。「神願寺」という寺号は、「宇佐八幡」の神意に基づいて建てた寺という意味である。