旅:日本の街道11 京都・周山街道2-2(2020.7.6)
かって一条街道と呼ばれた「周山街道」は、洛中から西に延びる一条通に仁和寺街道が合流し、御宮から高雄(高尾)を経て、福井県の小浜へ至る全長126kmの街道である。
若狭から京へ日本海の幸を運んだ「鯖街道」の一つであるとともに、北区中川周辺に産する銘木の北山杉を京に運ぶ、木材運搬の道でもあった。
「周山街道」は現在の国道126号とほぼ重なるが、京と周山の間に400m級の笠峠・栗尾峠が立ちはだかり、かってはきわめつきの悪路だつた。
牛車で荷を運んだこの頃の「周山街道」は、京の七口の一つ「長坂口」から「京見峠」を越え、中川へ迂回する道すじが利用されていた。
「西明寺」は真言宗大覚寺派の寺院で、「周山街道」沿いの「高雄山神護寺」「栂尾山高山寺」とともに、三尾の名刹として知られる。824~834年(天長年間)に、空海の高弟:智泉大徳が「神護寺」の別院として、創建したと伝えられる。
「清滝川」は京都市北区・右京区を流れる淀川水系桂川支流の一級河川で、高雄から清滝までの間の一部を『錦雲渓』、清滝から桂川(保津川)合流地点迄の間の一部は『金鈴峡』と呼ばれている。
「清滝川」に架かる朱塗りの「指月橋」を渡ると、「西明寺」の参道へと続く。・・講談社参照
「高山寺」は真言宗系の単立で創建は奈良時代と伝えるが、実質的な開基は鎌倉時代の明恵である。1206年(建永元年)明恵が34歳の時に、後鳥羽上皇から栂尾(とがのう)の地を与えられ、寺名の元になった「日出先照高山之寺」の額を下賜された。
「日出先照高山」(日、出でて、まず高き山を照らす)とは「華厳経」の中の句で、「朝日が昇って、真っ先に照らされるのは高い山の頂上だ」という意味であり、そのように光り輝く寺院であれとの意が込められている。
1581年(天正4年)に明智光秀は、若狭から京都への交通の要衝であり東丹波統治の拠点として、「周山城」(城主:明智光忠)を築城した。中国:周の武王の故事にならって、名付けたと言われる。・・「安土城」の築城開始1576年(天正9年)
「岩戸落葉神社」は、本殿が岩戸社・落葉社の二社からなる珍しい神社である。境内には、4本のイチョウの大木がそびえ立つ。
「山国神社」は794年(延暦13年)の平安遷都に際し、木材を山国杣より運ぶ事となり、770~780年(宝亀年間)に修理職が本殿を造営したとされる。
「美山町」(現在:南丹市)は京都府のほぼ中央に存在した町で、川に沿って建てられた民家のうちおよそ250棟は、昔ながらの茅葺き民家で、特に北集落は茅葺き民家が多く残っている。
「名田庄村」(現在:おおい町)は福井県の南西部の山間部にあった村で、陰陽師:安倍晴明ら安倍氏の子孫である土御門家が、京都からこの地に移り陰陽道の流れを受け継いでいる事で知られている。
3月に奈良の東大寺で実施されるお水取りの水は、遠敷川:鵜の瀬(小浜市)から送られたものと言われている。「奈良東大寺二月堂」本尊の十一面観音を祀る懺悔(ざんげ)祈祷の厳行であり、752年(天平勝宝4年)に良弁の高弟:実忠によって始められたと伝えられている。