旅:日本の街道15 奈良・初瀬街道2-2
「初瀬街道」は初瀬から名張を経て「七見峠」を越え、阿保に入り伊勢地を経て「青山峠」を越え、津市から松阪市六軒に至る約14里17町の街道です。
以前は「参宮表街道」とも呼ばれ、現在の桜井市・宇陀市・名張市・伊賀市・津市・松阪市を通り、現在は国道165号が「初瀬街道」と呼ばれる事がある。
古代からの道で「壬申の乱」の際、大海人皇子(天武天皇)が通った道でもある。大和と伊勢神宮とを結ぶ道路のうち、比較的平地が多い街道として良く利用された。
「伊勢参宮街道」に合流し、難波・大和と伊勢を結ぶ重要な街道でした。江戸時代には国文学者:本居宣長も歩き、その様子は彼の著書「菅笠日記」に記されている。
「室生寺」は奈良県宇陀市にある真言宗室生寺派大本山の寺院で、奈良時代末期の宝亀年間(779-781年)に、興福寺の僧:賢璟によって開かれた。
宝亀年間時の皇太子(山部親王:即位後桓武天皇)が病を得た際、浄行僧5名を室生山に派遣して延寿法を修させたところ効験があった。
宝亀年間に賢璟は既に60歳代で、在世中にどこまで寺観が整っていたかは分からず、室生寺の実質的な創建者は次代の修円(771年~835年)であろうと言われている。
「竜穴神社(龍穴)」の本殿は1671年(寛文11年)建立で、春日造りの一間社にして朱塗りを施す前方左右に、道主貴神社(市杵島姫命)と手力男神社(手力男命)の春日造り朱塗りの一間社が鎮座する。
当社の上流には龍神が住むと伝わる洞穴「妙吉祥龍穴」があり、古代から神聖な「磐境」とされてきた。・・「九穴八海」伝説。
「赤目四十八滝」は日本に数多く存在する四十八滝の一つで、三重県名張市赤目町を流れる滝川の渓谷にある一連の滝の総称である。
地名「赤目」の由来は、役行者が修行中に赤い目の牛に乗った不動明王に出会ったとの言い伝えにある。
「室生赤目青山国定公園」は室生寺周辺の室生高原・赤目四十八滝や香落渓といった山峡部を中心とした赤目渓谷で、布引山地一帯の青山高原及び高見山地を包括した自然公園である。
奈良県と三重県の県境の倶留尊山一帯に見られる柱状節理の地形で、奈良県宇陀市の名所旧蹟などが特筆される。
「長谷川治郎兵衛(次郎兵衛)」は三重県松阪市出身の伊勢商人で、長谷川本家は「丹波屋」という屋号を用いた。
「松坂城」の築城前より、伊勢国司・北畠家の武将:潮田長助が「四五百森城」を当地に築城していた。
1588年(天正16年)「安土城」の築城に加わった蒲生氏郷が、「松坂城」にも「野面積み」を主体に、隅の部分は「切り込みはぎ」「算木積み」という工法を使った。
これらの工法は「穴太衆」と呼ばれる近江国の石工集団が、「安土城」で今までの日本にはなかった新しい築城方法を発案した。
「松坂城」は城の縄張りは梯郭式平山城で、江戸時代初期には松坂藩の居城となっていた。廃藩後は御三家紀州藩の、南伊勢国内17万9千石を統括するために城代が置かれた。
「伊勢国」はかつて日本の地方行政区分だった令制国の一つで、東海道に属する。語源は「伊呂勢(=弟)」であり、出雲の分派としての機能から発達したという説がある。海に近いことから、「イソ」が転じたとする説もある。
478年(雄略天皇22年)内宮に近い「伊勢国度会の郡、沼木の郷、山田の原」の地に「豊受大御神」を迎えて祀った。・・定かではない。
「豊受大神宮」は伊勢神宮の2つの正宮のうちの1つで、一般には「外宮」と呼ばれる。神徳は、「豊受大御神はお米をはじめ衣食住の恵みをお与えくださる産業の守護神です」とされている。
「皇大神宮」は伊勢神宮の2つの正宮のうちの1つで、一般には「内宮」と呼ばれる。
紀元前4年(西暦:-3年 垂仁天皇26年)、伊勢国にたどり着いた時、「この国に留まりたい」という天照大御神の神託があり、倭姫命は五十鈴川上流の現在地に祠を建てて祀り、磯宮と称したのが皇大神宮の始まりという。
2019年2月にやや遅い初詣で、団体で「皇大神宮(内宮)」で行きました。その後7月頃にアメリカから一次帰国した娘・孫達家族:8名で、「皇大神宮(内宮)」と「おかげ横丁」を散策しました。