旅:日本の街道 甲州道中2 甲斐路2-2(2021.11.20)

「甲州街道」は江戸幕府によって整備された五街道の1つとして、5番目に完成した街道である。
江戸(旧本橋)から内藤新宿・八王子・甲府を経て信濃国の下諏訪宿で中山道と合流する迄44次の宿場が置かれ、江戸から甲府までの37宿を表街道、甲府から下諏訪までの7宿を裏街道と呼んだ。

「笹下峠」~「甲府」・・講談社参照

近世初頭には「甲州海道」と呼称され、1716年(正徳6年)4月の街道呼称整備で「甲州道中」に改められる。中馬による陸上運送が行われ、江戸の町において陰陽道の四神相応で言うところの白虎がいるとされる街道である。

「甲府」~「下諏訪」・・講談社参照

「積翠寺」は山梨県甲府市にある臨済宗妙心寺派の寺で、開祖:行基とされ『甲斐国志』に拠れば古くは「石水寺」と呼ばれたと言う。

「武田神社」は1915年(大正4年)大正天皇の即位に際し、信玄公墓前に従三位追贈が奉告されたのを契機に創建の気運が沸き上がり、官民一体となった「武田神社奉建会」が設立され、1919年(大正8年)には社殿が竣工された。

2018年4月 「信玄公祭り」 提供者: 山梨チャンネル

「願成寺」は山梨県韮崎市神山町鍋山にある曹洞宗の寺院で、甲府盆地の西部、釜無川右岸の氾濫原から市域西部の山麓地域に至る神山地区の東部に位置する。古代甲斐国では天台宗・真言宗の密教が伝わっており、願成寺も創建当時は天台宗寺院であったと言われる。
「武田八幡宮」は山梨県韮崎市にある神社で、822年(弘仁13年)に「宇佐神宮」又は「石清水八幡宮」の分霊を勅命によって勧請し、地名から称したのが草創とされる。(諸説あり・・空海の夢の中等)

「信玄の棒道」は武田晴信(信玄)が開発したとされている軍用道路で、八ヶ岳南麓から西麓にかけての甲信国境甲斐国(山梨県)と信濃国(長野県)の境を通る。
名前の由来は荒野にまっすぐ一本の棒のように存在していたので、棒道と呼ばれるようになったとされる。(別名:大門嶺口 だいもんどうげぐち・・諸説あり)

「台ヶ原宿」は山梨県北杜市白州町台ヶ原にある、甲斐国(甲州、現:山梨県)の北西部、甲府と諏訪を結ぶ甲州街道(甲州道中、現:国道20号旧道)のちょうど中間辺りにあり、江戸・日本橋から40番目、43里10町余りの距離にあった宿駅である。

「大糸桜」は樹齢:400年のエドヒガンザクラの変種で、戦国から江戸時代に世が移る頃芽生えたと考えられています。

2019年3月 提供者:JAPAN GEOGRAPHIC

「教来石宿」は甲斐:信濃国境の防備が主の宿場で山口関所が設けられ、地名となった教来石は日本武尊が座った石に由来していると伝えられている。
「蔦木宿」は江戸から数えて42番目の宿場で(現:現在の長野県諏訪郡富士見町落合)、江戸から45里30町、隣の茅野市金沢から3里4町に位置する。
「金沢宿」は江戸から数えて43番目の宿場で(現:現在の長野県茅野市金沢)、江戸から48里35町、上諏訪から3里14町に位置する。

「上諏訪宿」は江戸から数えて44目の宿場で、江戸から52里13町、下諏訪から1里11町に位置する。(14軒の旅籠)1592年諏訪藩主:日根野高吉により、高島城の城下町の一部として整備された。
「下諏訪宿」は中山道69次のうち江戸から数えて29番目で、かつ甲州街道の終点あたる宿場である。(現:長野県諏訪郡下諏訪町の中心部)難所であった和田峠の西の入口として、「諏訪大社下社」の門前町として栄えた。(45軒の旅籠)

「諏訪湖」は新生代第三紀の終わり頃からの中央高地の隆起活動と糸魚川静岡構造線の断層運動によって、地殻が引き裂かれて生じた構造湖(断層湖)である。

「諏訪湖祭湖上花火大会」2019年8月・・提供者:Yatsugatake21_4K_Japan

「諏訪大社」は長野県の諏訪湖周辺4ケ所にある神社で、現在は神社本庁の全国に約25.000社ある諏訪神社の総本社である。(通称:「お諏訪さま」「諏訪大明神」)