常磐散策③:城ケ峰麓~舎衛寺付近(2022.3.29)

「城ケ峰」麓から目的地:船田合戦終焉之地「舎衛寺」に向かっていますが、写真の右方向の道(私有地)には「上城田寺古墳」があります。・・通常は鎖で閉鎖され、車の通行はできません。

岐阜大学・岐阜大学付属病院・岐阜薬科大学(前方右手)

常磐地区と黒野地区を結ぶ市道「城田寺15号線」と主要地方道「岐阜美山線」が、今年3月に開通しました。・・伊自良川に橋を新設。
東海環状自動車道(仮称)岐阜ICは2024年(令和6年度)に開通見通しで、この道路はアクセス道路でもあります。

城田寺15号線から黒野方向(西方向)
城田寺15号線から打越方向(東方向)
城田寺15号線から城ケ峰方向(北方向)

写真は上城田寺発展のために開発された大正団地(城田寺団地)で、1969年(昭和44年4月)造成工事を着工し12月に完了をしました。
1973年(昭和48年4月)住宅の建築・諸整備も終わり、260戸の大正団地が完了した。・・本「開け行く常磐」を参照

右手に見えているのは「濃尾西濃運輸岐阜北営業所」で、南東にある「舎衛寺」に向かって歩いています。

南東に歩いて行くと浄土真宗本願寺派「高井山 正光寺」が有りますが、何故か岐阜教区黒野組のお寺です。・・住職とはお会いした事があり、城田寺大門組(20世帯)内のお寺です。

今整備中の「舎衛寺」駐車場に到着しましたが、管理者夫婦が手作業で竹・雑木を伐採して駐車場工事の下準備をされていました。

写真に「舎衛寺」入り口と、城田寺「白山神社」の鳥居等が見えています。・・明治時代以前は、城田寺「白山神社」も舎衛寺の敷地でした。

境内の早咲きの「河津桜」が満開だったので、写真を撮影するため境内に向かいました。右には仲間が手作りの船田合戦の説明看板や、左奥には「史跡:船田合戦終焉之地」の石碑が建てられています。

史跡:船田合戦終焉之地
満開の「河津桜」

寺の名前の由来になった「舎衛国」と書かれた旗が落ちたと言われる桜の木で、右側の祠は「玉幡堂」です。

「玉幡堂」を左手に見ながら鷺山地区の正木に向かって歩きましたが、竹・木が倒れており中々前に進めません。
以前は城田寺「白山神社」から、鷺山正木地区に小道が繋がっていたようです。・・今は通行できず戻りました。

地蔵さんを納めた祠(荒れ果てた)

鷺山に向かうため南西に歩いていたら、臨済宗妙心寺派「心城山 乾徳寺」の石碑が右手にありました。・・この近くに「常磐歴史研究会」会員の、畑があった気がします。