日本の街道18:中山道2-1(2023.1.3)

江戸日本橋を出発して、中山道は関東平野を北西に、大宮・熊谷から「碓氷峠」へ、中部山岳地帯をぬって、京の三条大橋を目指す。・・22番「岩村田宿」が掲載されていない。(「小田井宿」と「塩名田宿」の間)?
六十九次、全長約534kmの道のりは、古代の官道:東山道にほぼ沿っている。・・講談社参照

「碓氷峠」~「芦田」・・講談社参照

1601年(慶長6年)徳川家康が東海道五十三次を定め、翌年には中山道を制定。中山道は東山道に沿って、鎌倉街道や戦国時代の古道を改修して整備された。・・講談社参照

「笠取峠」~「贄川」・・講談社参照

「碓氷峠」は群馬県安中市松井田町坂本と、長野県北佐久郡軽井沢町との境にある日本の峠である。1.200万年ほど前には現在の「碓氷峠」は海中にあり、クジラやサメなどが生息していた。・・Wikipedia参照

「軽井沢宿」は18番目の宿場で、一般に軽井沢と呼ばれる場所とは2~3km離れており、旧軽井沢と呼ばれる辺りが該当する。中山道有数の難所「碓氷峠」の西の入口にあたり、六十九次で最も栄えた宿場であった。

つるや旅館提供

「三笠ホテル」名称は、敷地前方の愛宕山が奈良県「三笠山」に似ていることから、有島生馬・里見弴・山本直光によって付けられたという。

「三笠ホテル」・・講談社参照

1905年(明治38年)実業家:山本直良が建てた瀟洒なホテルで、純西洋風木造建築です。(建築家:岡田時太郎)


kuc tarou提供

「沓掛宿」は19番目の宿場で、「沓掛」の名は難所であり荒天時は人も荷も足止めされた「碓氷峠」の入口である事に由来し、両隣の「軽井沢宿」及び「追分宿」と共に浅間三宿と呼ばれて栄えた。

「沓掛」~「追分」・・講談社参照

「追分宿」は20番目の宿場で、「北国街道」との分岐点でもあり「追分」の名はこれに由来する。旧脇本陣の油屋は、堀辰雄や立原道造・室生犀星らに愛され、堀辰雄の小説『菜穂子』『ふるさとびと』に登場する牡丹屋という旅館はこの油屋がモデルである。

軽井沢トリップ提供

日本聖公会「ショー記念礼拝堂」は、カナダ生まれの聖公会宣教師:アレキサンダー・クロフト・ショーによって創設された軽井沢最古の教会で、エドワード・ビカステス主教によって聖別(献堂)された。
現在の建物の原形が造られたのは1895年(明治28年)で、1922年(大正11年)までにほぼ現在の形に増改築された。

「ショー記念礼拝堂」・・講談社参照
軽井沢トリップ提供

「浅間山」は、長野県北佐久郡軽井沢町及び御代田町と群馬県吾妻郡嬬恋村との境にある、安山岩質の標高:2.568mの成層火山です。

「浅間山」右・・講談社参照
Tanji Akira提供

数十万年前から周辺では火山活動が活発であり、「烏帽子岳」などの3つの火山体と合わせて、「浅間連峰」もしくは「浅間烏帽子火山群」と総称される。

「浅間山」左・・講談社参照

「園城寺」は1470年(文明2年)に創建された名刹で、佐久郡八十八か所霊場めぐり第四十二番札所である。
夏はアジサイ、9月には、10,000本の萩の花が見頃を迎えます。

「園城寺」の庭園・・講談社参照

「小田井宿」は21番目の宿場で、参勤交代などで大名が「北国街道」との分岐点でもあった「追分宿」で宿をとる際、姫君や側女たちの宿にあてられる事が多く「姫の宿」とも呼ばれた。

街並み Love提供

「塩名田宿」は23番目の宿場で、暴れ川であった千曲川の東岸にあり、旅籠が10軒以下の小さな宿場にも拘らず、本陣と脇本陣が合わせて3軒あった。

佐久市チャンネル提供

「八幡宿」は24番目の宿場で、千曲川の西岸にあたり対岸の「塩名田宿」との距離は1里もない。
川止めになった時の待機地として、また千曲川沿いの米の集散地として江戸時代初期の慶長年間に整備された宿場である。

バッタモン提供

「望月宿」は25番目の宿場で、平安時代からこの地を収めていた豪族:望月氏の姓や、朝廷や幕府に献上していた馬の名産地として「望月牧」から、「望月」の名が付いたとも言われる。

「八幡宿」「望月宿」・・講談社参照

「蓮華寺」は1067年(治暦3年)の開創と伝えられる真言宗の古刹で、千曲川の支流「鹿曲川」の左岸にあります。
「百番観音石仏群」は明治初年頃に近隣の人々が寄進したもので、100体の観音像が並び西国・坂東・秩父の日本三大霊場のご利益を受けられると言われる。

「蓮華寺」百番観音石仏群・・講談社参照

「茂田井」は造り酒屋の白壁の土蔵が続き、かって米生産量の8割ほど酒造に費やした。酒と旅に愛した歌人:若山牧水は、この地の美酒に酔ったという。

Discover NAGANO【ワタナベ マサハル】提供

「芦田宿」は26番目の宿場で、難所であった「笠取峠」の東の入口にある生糸の産地でもあった。

バッタモン提供

「津金寺」は天台宗の寺院で、飛鳥時代の702年(大宝2年)に行基が聖観音を安置したのが始まりと伝えられている

「芦田宿」・・講談社参照