歴史調査:雛倉山登山(雛倉城跡)①(2023.2.25)

岐阜市「網代歴史研究会」主催で、「黒野城と加藤貞泰公研究会」「常磐歴史研究会」が参加して、「雛倉城跡」探索で雛倉山の登山を行った。

岐阜の伝え話「二つ岩(夫婦岩)」に出てくる岩ですが、2022年10月に看板が設置されました。・・悲恋の物語
90mほど北の道路付近に立っていたが、1976年(昭和51年)に土地改良で現在地に移された。

網代村志参照
「網代歴史研究会」資料参照

これは網代地区の「庚申様(青面金剛)ですが、他の場所からここに移設したようです。

庚申様(青面金剛)

「網代歴史研究会」会長から、「雛倉山」(標高:132.5m)や網代地区の説明が有りました。

「雛倉山」に登るために、参加者20名程度が歩き始めました。

網代「白山神社」の鳥居は、1741年(寛保元年)に設置されたようです。

参加者の記念撮影を鳥居の前で行いましたが、数名(足を痛めている人)が一旦家に帰りいません。

網代「白山神社」の参道はかなり長く、途中に道路が造られたので途切れています。

途中の山の麓に不思議な所があるため、全員が見に行きました。・・なんだこれは?

「網代歴史研究会」会長から説明があり、3本の尖った木は男性のシンボルを表しているようです。・・子宝に恵まれるように祈ったようです。

左右の道路を横切り、網代「白山神社」参道を拝殿に向かって歩いて行きました。

「網代歴史研究会」高井さんから、資料に基づき説明が有りました。・・かなり詳しく調べています。

「網代歴史研究会」資料参照

「船田合戦」勝者:土岐政房の記載や、「雛倉城主」の記載がされている。・・美濃諸家系譜

「網代歴史研究会」資料参照
「網代歴史研究会」資料参照
「網代歴史研究会」資料参照
網代「白山神社」拝殿

いよいよ「雛倉山」に登りますが、急勾配な階段が続いています。・・全200段程度で、真ん中の階段の部分しか手すりが有りません(怖い!)

本殿に向かう階段