船田合戦関連地:調査活動②(2023.3.1~3.6)
「岐阜市東部クリーンセンター」横の道から芥見権現山に登れば、「船田合戦」で敗れた土岐元頼の居城:長山城跡が有るようです。・・やや不安!
道に迷わないために、所々に標識が建てられている。
・・下芥見と各務原市須衛
初めて登る山で方向も良く分からず、疲れて休憩を仲間がしています。
「長山城跡」と「芳野神社」の標識が有りましたが、芥見「権現山」の山頂とは方向が違うようです。
「長山城」は芥見権現山の西方尾根続きの山上(標高:303m)に築かれた山城で、「宮本家古寺縁起」によると土岐元頼(長山四郎)が城主と記されている。・・案内板参照
「芳野神社」は奈良時代に泰澄大師が開創したと伝わり、両脇の石灯篭には1684年(天和3年)と記されている。・・案内板参照
「常在寺」は岐阜市にある日蓮宗京都妙覚寺の旧末寺で、斎藤道三以後の斎藤氏3代の菩提寺として知られる。
重要文化財に指定されている斎藤道三肖像画と斎藤義龍肖像画が所蔵されている。4月1日の斎藤道三「追悼式」には、岐阜市歴史博物館で保存されている実物が公開されます。
美濃守護代:斎藤利藤は「船田合戦」で異母兄弟:斎藤利国に敗れ、幼い子:毘沙童は命を助けられその後「常在寺」第4祖 住職:日運聖人となる。
「瑞龍寺」は岐阜市寺町にある臨済宗妙心寺派の寺院で、1468年(応仁2年)美濃国の実権を握る斎藤妙椿が、美濃国守護:土岐成頼の菩提所として建立し、悟渓宗頓国師を迎えて開山した。
美濃守護代 斎藤利永の弟:妙椿は、利永の死後は嫡男:利藤が守護代職を継いだが、幼少のため利永の弟で叔父:斎藤妙椿が後見人となった。
土岐成頼は嫡男:政房より末子:元頼を溺愛するようになり、元頼に後を継がせようとした。この土岐成頼の意向に権力奪回を図る斎藤利藤・石丸利光が同調し、斎藤利国(妙純)の排除を図るようになった。・・船田合戦の始まり
船田合戦で敗北した土岐元頼(芥見権現山 長山城城主)が、「宮本家古寺縁起」には明応(1492年~1501年)の頃、大洞:願成寺を修復せりと書かれている。
誓願桜の樹齢は1,200年以上で、中将姫が継母からの迫害を逃れるために各地に落ち延びるうちに病で倒れ、「願成寺」に安置されている観音菩薩に祈願したところ快復したことから、後世の女性の守護を祈って誓願桜を植えたという伝承があります。