黒野歴史探訪:洞の史跡めぐり(2023.10.21)①

黒野歴史探訪『洞の史跡めぐり』に参加するため、仲間に車で近くまで送って貰いました。・・集合場所まで徒歩です。(午前8時1分)

「深坂神社」の鳥居迄やって来ましたが、この神社の東側(右)には母の姉が住んでいました。・・幼き時良く来ました。(午前8時3分)

「深坂神社」のスギの木の、案内板が設置されています。(午前8時3分)

主祭神:八酒子神(やさこのかみ)
由緒:此の社往古本郷の北の方に鎮座ありしを、鵜飼郷の総社産土神なる故に偏りたる地にては祭典に便ならずとて、斉藤利國此の地を領せしとき、明応の始め現今の地に遷せり。・・船田合戦の美濃守護代:斎藤利国が関連。(午前8時5分)

岐阜市指定天然記念物の、「深坂神社のスギ」です。(午前8時9分)

私は会員の為、一般参加者より早く集合場所にやって来ました。・・会の役員の人達が既に準備をしています。(午前8時14分)

殆どが会員及び黒野まちづくり協議会・自治会の人で、参加者は殆ど来ていません。・・何人集まるかな。(午前8時16分)

岐阜大学医学部看護学科生徒・一般参加者が、かなり集合場所に来ました。・・常磐在住で長良中学の同級生も来ています。(午前8時46分)

案内役:黒野城と加藤貞泰公研究会 河口会長より、今日の予定や注意点の話をされました。・・蛇の目紋「陣笠」を被っています。(午前8時48分)

雨が多少降る中、洞の「深坂神社」より史跡めぐりが始まりました。(午前9時9分)

「深坂神社」から真直ぐに、北に向かって歩いています。・・人数が多いので誘導を担当。(午前9時20分)

「地蔵堂」の前で説明を始めましたが、母の実家の前で驚きました。・・偶然におばさんと遭遇し、久しぶりに話をしました。(午前9時26分)

「洞霊苑」に近い空き地で、御望山方面を望み「洞山上遺跡」「洞第1古墳群」や、「三界万霊碑」の説明が河口会長より有りました。(午前9時31分)

「洞霊苑」が左に見えており、その中に「三界万霊碑」が有ります。・・以前は「於母ケ池」の近くにあったようです。(午前9時32分)

富有柿畑の中を通り、「於母ケ池」に向かって歩いています。(午前9時41分)

やや高台に上がってきましたが、前方に工事中の「東海環状自動車道」の橋げたが見えています。(午前9時42分)

第1「於母ケ池」(天保池)貯水量:20.810㎥で岐阜市最大で、第2「於母ケ池」は岐阜市で3番目です。(午前9時47分)

河口会長より配布資料に基づき「於母ケ池」の説明が有り、現在は水田耕作地が減り、水は農業用水に利用されていないそうです。・・昔の苦労が時代の変化で残念。(午前9時48分)

説明中に後方の運営者(写真前方)から呼ばれたので、戻って行きました。・・おばさんが自転車で、富有柿を2袋(40個)届けてくれました。?(午前9時51分)

曹洞宗 本有山「圓成寺」の石碑の前には、地元の人が誘導の為旗を持って立っています。・・1380年(天授6年)鵜飼入道蓮一が開創と伝えられ、明応の頃(1492年~1500年)再興。(午前10時)