歴史探訪:斎藤利藤・土岐政房等(2025.7.12)
瑞穂市:スーパー「コノミヤ」内の、昼からもモーニングの喫茶店「カルベラⅢ」でランチをしました。・・「中山道美江寺宿跡」近く(午後12時11分)


「瑞浪市ふる里学ぼう会」(講師:小川敏雄氏)終了後、仲間と「美江神社」に行きました。・・「中山道美江寺宿跡」(午後1時24分)



神社に興味を持っている仲間が、この神社は鰹木(かつおぎ)が偶数で、千木(ちぎ)も水平だから女神だと我々に説明した。❓・・鰹木は屋根に並べられた丸太状の部材で、千木は頭の飾り。🤔😮(午後1時25分)

「中山道美江寺宿跡」(美江神社境内)の説明板には、1589年(天正17年)豊臣秀吉の下知によって、問屋場・・」と書かれています。・・江戸時代の「高札場跡」(午後1時26分)





「常磐歴史研究会」有志で寺町界隈に有る、大垣市墨俣町「明台寺」を訪問しました。・・今回で4回目(午後2時37分)



仲間と墓を隅々まで探して、やっと墨俣町指定文化財「斎藤利藤の墓」と「頼山陽碑文」を発見。・・「土岐悪太郎の墓」は以前発見。(午後2時37分)



この墓は「土岐悪五郎(康貞)の墓」で、説明板には土岐頼康の弟と書かれています。・・「悪」は強いことを意味する。😮(午後2時39分)


「土岐政房の墓」(成就院跡)に来ましたが、明治時代初期の廃仏毀釈で成就院は廃寺となる。・・住民が私に話しかけ、草を刈らんといかんなーと❗🤗
(午後3時12分)



「茜部神社」祭神は応仁天皇(誉田別尊)・神功皇后(息長帶比売命)などであるが、833年❓(天長10年)空海が神宮寺として「成就院」(承隆寺の塔頭)を建立する。
南北朝・戦国時代は川手城・上茜部城・加納城の守護神とされ、土岐氏・斎藤氏の保護を受けていた。(午後3時18分)



火祭りで有名な岐阜市:手力雄神社に来たが、神社関係者の女性から以前「土岐頼遠の墓」が有ると言われた。・・根拠は何か、何故この場所なのか。❓🤔(午後3時43分)




1185年(文治元年)長森庄(現・岐阜市長森)地頭:渋谷金王丸が「長森城」を築城したと伝わる。(午後4時11分)

南北朝時代の1339年(暦応2年)美濃国守護職:土岐頼遠が土岐郡(現・瑞浪市)から「長森城」に移り、城郭として整備をする。・・Wikipedia・長森史考参照

加納藩藩主:安藤信尹(信成の父)は乱行が原因で隠居を命じられ1755年(宝暦5年)安藤信成(加納藩第3代藩主)が家督を継ぐが、加納藩6万5000石より磐城平藩5万石に減転封させられ平藩藩主となる。(午後4時12分)


その後の実績により美濃国1万8千石が増やされこの地を治めるために、1803年(享和3年)11月「長森城跡」に「切通陣屋」が築かれる。
