白山神社と舎衛寺:正月参拝(2022.1.3)
城田寺の「白山神社」に、新年の参拝で歩いて向かいました。
南東には「金華山」及び「岐阜城」が見えています。
正面には「本堂池」がありますが、以前は「舎衛寺」が建てられていました。
手前の右側には「白山神社」の第一鳥居が建っていて、その近くの桜に「舎衛国」(その当時インドにあった国)と書かれて旗が落ちてきました。・・旗堕寺が訛ってこの地を「城田寺」(きだいじ)と呼ぶようになったと言われています。
これが「白山神社」の第一鳥居で、その奥の桜の木に旗が落ちました。
以前はここから鷺山の麓にある「白山神社正木」まで歩いて行ったり、合同で祭りが行われていたようです。・・歩こうとしたが、倒木等で行く事が出来ず。
正月三が日は地元の人が日の丸を立てて、初詣の人を迎えます。
「白山神社」の西側には、船田合戦終焉之地の石碑が建てられている、現在の「舎衛寺」の本殿があります。
昨年の暮れに「竹文化振興会」会員及び「常磐歴史研究会」有志が、竹灯籠の制作を行い左右に設置をしました。(今回は42個)・・最終目標は、108個です。
これは2021年12月31日に撮影した、「舎衛寺」の入り口です。
我々の手作りの「門松」及び「竹灯籠」が、暗い境内の道を照らしています。
これが「船田合戦」終焉之地の石碑で、2022年1月3日昼に撮影。
下の写真は2021年12月31日の、夜の写真です。
昨年「常磐歴史研究会」有志で、「船田合戦」終焉之地を見学した時に発見した「庚申様」。
「青面金剛」の石碑で、石碑下部には「見猿 言わ猿 聞か猿」が刻まれています。・・この寺の管理者の方も、知りませんでした。(雑草に埋もれていました)
何十年ぶりに、年末から新年参拝者をお迎えする準備がされていました。
世界遺産の本山:仁和寺の指示で新しく住職が決まり、このような事が出来るようになりました。・・寒い中管理者夫婦と地元有志の若者が暖を取り、参拝者にぜんざいを配られていました。