船田合戦関連地:調査活動①(2023.2.16~2.19)
美濃守護:土岐成頼は長男・土岐政房ではなく、弟・土岐元頼を溺愛して政房の廃嫡を図り、1495年(明応4年)に「船田合戦」が起きた。
土岐成頼の指示を受けて守護代:斎藤利藤と小守護代:石丸利光らが土岐元頼を擁立し、母方の叔父:斎藤妙純(別名:利国 利藤の異母弟)が土岐政房を擁立した。
鉄格子の中に、勝者:土岐政房の墓が置かれている。・・やや見すぼらしい感じがします。
「龍徳寺」は岐阜県池田町にある臨済宗妙心寺派の寺院で、創建は弘仁年間(810~824年)で美濃池田氏・稲葉氏・国枝氏の菩提寺である。
1495年(明応4年)6月 小守護代:石丸利光が土岐成頼の子:土岐元頼を擁立して、「船田合戦」を起こすと國枝大和守為助が石丸方の副将として一軍を率いている。
しかし「中野の戦い」で敗北し、為助ら國枝一族は全員討死して、最終的に石丸方も敗北したため一時没落した。・・「龍徳寺」住職は、為助公と敬って話された。
「法雲禅寺」は1584年(天正12年)に創建された、岐阜県揖斐郡揖斐川町にある臨済宗妙心寺派の寺院で、土岐頼芸終焉の地として知られる。
別の場所に墓があったが荒らされたので、1974年(昭和49年)に寺の敷地内に移した。その際、墓が岐阜県指定の史跡となった。・・住民からの情報
現在住職がいなく、檀家の方々も困っていると聞きました。・・寺の行事は通いで高齢の方が行っている。
1602年7月1日から「加納城」が築城され、9月に徳川家康の義理の息子:奥平氏が城主となった。(妻は家康の娘:亀姫)
1445年(文安2年)に美濃守護代:斎藤利永(妙純の父)によって、「沓井城(別名:加納城)」として築城された。「船田合戦」では斎藤妙純(利国)の、居城となっていた。
土岐家第3代守護職:土岐頼康は、信濃国・伊予国平定の功により、美濃国・尾張国・伊勢国の3ヶ国の守護職となる。
手狭となった「長森城」に代わり、1353年(文和2年)「川手城」を築城する。・・済美高校の一角に建つ碑
1495年(明応4年)土岐氏の相続争い「船田合戦」により、城は焼失する。後に再建されるが、1530年(享禄3年)土岐氏を追放した斎藤道三が「稲葉山城」に拠点を移したことにより廃城となる。
「霊薬山 正法寺」は岐阜市薬師町にあった臨済宗の寺院で、美濃守護:土岐頼康が1353年(文和2年)に「川手城」を築城した際に嫩桂正栄を招いてその隣接地に建立した。