初詣:上土居・熊野神社(2024.1.3)

午後から氏子となっている、上土居「熊野神社」に参拝にやって来た。・・元旦の深夜にも参拝。(午後1時1分)

新年を迎えたので、鳥居・本殿は旗・幕・お供えがされていた。・・階段は急で夜は見えにくい。(午後1時5分)

本殿には幕が引かれ、賽銭を投げるために下に白布が敷かれてある。・・盗む人はいないのかな。(午後1時5分)

摂社・末社の区別はつかないが、「姥神社」が置かれている。・・主祭神:姥大権現、天照大神❓(午後1時6分)

「鍬神社」は字から判断すると、農業の道具「鍬」から来ていると思われる。・・豊作を願う。(午後1時6分)

「白山社」は「白山神社」と同じで、白山信仰と思われる。・・上土居には「白山神社」単独は無い。(午後1時6分)

「連理之榊」は宮司さんが数年前に見つけ、移植されました。白居易の「長恨歌」にも書かれてある。・・紫式部・清少納言等にも影響を与えた。(午後1時7分)

「在天願作比翼鳥」→「天にあっては、願わくは比翼の鳥となり」「在地願為連理枝」→「地にあっては、願わくは連理の枝となりたい」

「水神社」は水と付くため、これも農業に関係するのか・・伊邪那岐(イザナギ)が水に身を沈めた事で生まれたので「水の神」(午後1時11分)

その他色々の祠や、石にもお供えが備えられている。・・何の神かは書かれていません。(午後1時11分)

この道を登っていくと権現山の山頂になるが、そこには「上土居城」があったと言われている。(午後1時12分)

東海古城研究会資料参照・・1990年(平成2年)

上土居:熊野権現社があるため、この辺りが「上土居城跡」と思われる。・・2022年4月撮影。

「船田合戦」の最後の戦い「城田寺の戦い」で、石丸利光側の砦が築かれたと言われている。

上土居「熊野神社」の第二鳥居(赤色)の左手に、「連理の榊」の由緒と「植栽祭」の内容が貼られている。・・「之」ではなく「の」に統一した方が良いかな。(午後1時13分)

第三鳥居左右に「門松」風に置かれ上は笹で繋がれてあるが、「連理」を連想されますね。・・以前は「門松」を私と高齢の氏子さんが買いに行って第二鳥居に置いていました。(午後1時15分)

参拝者が購入した「おみくじ」が、境内の木の枝にくくり付けて有ります。(午後1時15分)

境内で宮司さんの孫達と話していたら、元旦に新たに「連理の榊」を見つけたと聞き、案内をして貰う。(午後1時18分)

「本殿」よりやや登った先に、「連理の榊」が有りました。・・かなり大きくて、他にも有るかも。(午後1時18分)

毎年正月に仮設で作られる販売所で、お札・お守り等を販売しています。・・宮司さんは各務原市在住。(午後1時19分)