垂井町散策(2024.6.29)

娘と垂井町「グルマンヴィタル」にモーニングをして、午後から「ワイワイプラザ垂井」の講演会に参加予定であった。・・勘違いで講演会は6月30日と後で気づく。😢(午前9時39分)

奥の喫茶店はモーニング客の待ちが多く、諦めて店で購入して食べる事にしました。・・早く来ないと難しい。😢(午前10時3分)

JR垂井駅北口の案内板とスマホで、「ワイワイプラザ垂井」「金蓮寺」を確認して南口に移動しました。(午前10時41分)

岐阜市城田寺に有ったと言われる時宗「専称寺」の件で、時宗「金蓮寺」に調査に向かいました。(午前10時52分)

境内の鬼瓦には菊の紋が有り、「金蓮寺」の縁起が書かれてあった。・・滝沢馬琴「南総里見八犬伝」の大舞台となっている。❓(午前10時53分)

住職に会って時宗:一遍上人(河野一族)の事や、城田寺:専称寺について話を聞きました。・・時宗の寺の周りには鍛冶職人が多く住んでいたようです。(午前11時5分)

岐阜県には時宗の寺は垂井町:金蓮寺・阿弥陀寺しかなく、城田寺に有ったと記されている「専称寺」の場所の裏には、鎌磨の地名が残されている。・・「開け行く常磐」(1994年常磐公民館運営委員会発行)参照

住職の了解を貰い境内を見学していたら、「足利春王丸・安王丸処刑の旧蹟」の石碑が有りました。❓(午前11時6分)

1438年(永享10年)鎌倉公方:足利持氏と第6代征夷大将軍:足利義教との間で「永享の乱」が発生し、足利持氏は自害し遺児:春王・安王は垂井:金蓮寺で斬首された。・・同じ足利一族なんですが、知りませんでした。😮(午前11時8分)

足利義満の子:義教と満兼の子:持氏の間で、「永享の乱」が発生する。
義満の側室の一人は春日局(江戸時代の春日局とは別人)で、子は義嗣です。・・ウィキペディア参照

「ワイワイプラザ垂井」で開催される講演会が明日とは気づかず、JR東海「垂井駅」南口に戻ってきました。😥(午前11時13分)

垂井駅の北口~南口高架通路から見た景色ですが、東海道本線は新垂井線も有るようです。・・特急と貨物が走るようです。(午前11時16分)

垂井駅の北口~南口への高架通路には、知将:竹中半兵衛重治公の写真が壁に設置されています。・・垂井町:菩提山城城主で、生まれは大野町です。(午前11時17分)

帰りはJR東海に乗車するため、時刻表を確認しました。・・この時点でも講演会は明日だと気づかず。(午前11時18分)

「わいわいプラザ垂井」の場所を確認のため、JR垂井駅北口近くの「垂井町観光案内所」に立ち寄りました。・・話をしていて間違いに気づく。(午前11時36分)

竹中半兵衛重治は黒野城城主:加藤貞泰の父:光泰の命の恩人であり、光泰の次女が竹中半兵衛の子:重門の妻となり深い関係であった。・・「黒野城と加藤貞泰公研究会」資料・「垂井町観光協会」チラシ参照(午前11時36分)

これが翌日講演会が開催される「ワイワイプラザ垂井」で、JR垂井駅の北西で徒歩6分の距離です。(スマホで確認)・・新築されたばかりで綺麗です。・・翌日撮影。

この日は時宗「金蓮寺」の訪問だけとなり、翌日再度JR岐阜駅から垂井駅に向かいます。(午前11時54分)