旅:松尾芭蕉ゆかりの地1(2020.6.8)
「上野城(別名:伊賀上野城)」は伊賀市(上野公園)にあった平山城で、慶長16年(1611年)に徳川家康の命を負って藤堂高虎が拡張した。高虎が従属する徳川家康が「大坂の陣」で豊臣氏を破り、豊臣が滅んだ後築城が中止され、本丸・二ノ丸等の主要部分は城代屋敷を除いて未完成のままとなった。
「俳聖堂」は1942年(昭和17年)に建築家:伊東忠太の設計で建設され、堂内には等身大の伊賀焼の芭蕉座像が安置され、命日の10月12日の「芭蕉祭」で公開されます。(八角堂)
「芭蕉翁生家」は松尾芭蕉が幼少の頃に、過ごしたとされる木造建築物である。芭蕉は1644年(正保元年)に伊賀市で生まれ、幼少の頃は伊賀市上野赤坂町で過ごしたとされる。(29歳まで過ごす)
一説には伊賀市柘植町で出生したという説があるが、これは芭蕉の出生前後に松尾家が柘植から赤坂へ引っ越しをしており、引っ越しと芭蕉誕生とどちらが先だったかが不明だからである。
「古里や 臍のをに泣く としのくれ」・・芭蕉
年の暮れに年老いた兄妹のいる故郷の生家に帰り、自分のへその緒をふと手に取ってみた。今は亡き父母の面影が偲ばれ、懐旧の情に堪えかね涙にくれるばかりである。
「芭蕉翁記念館」は三重県伊賀市の上野公園(伊賀上野城)内にあり、「松尾芭蕉」の展示品やグッズが売られている。
「上野天神宮」は「菅原神社」とも呼ばれ、1581年(天正9年)天正伊賀の乱の後、藤堂高虎による城下町建設の際この地に奉還され城郭鎮守として祀られた。
1672年(寛文12年)1月、俳諧に身を立てる事を決意した宗房(後の松尾芭蕉 29歳)が、その処女作『貝おほい』1巻を社前に奉納し自らの文運を祈願した場所でもある。
「初さくら 折しもけふは よき日なり」・・芭蕉
境内には初桜がちらほら咲いてお天気もよく、会の発足にふさわしいまことによい日だ。(上野天神宮で撮影)
「春もやや けしきととのふ 月と梅」・・芭蕉
長い冬が過ぎ去って、梅が咲き始めた。それだけでも十分春を喜ぶのだが、加えて月も出た。これで早春の役者は十分に揃ったのである。(奈良県月ヶ瀬で撮影)