旅:松尾芭蕉ゆかりの地2(2020.6.10)
「妙照寺」は岐阜県厚見郡今泉村(現在:岐阜市柳町辺り)に創建されたが、慶長5年(1600年)に織田秀信に現在地を寄進され移転した。日蓮宗の大本山妙顕寺第8世日広(京都)の弟子である、五千院日舜の開山である。(岐阜市梶川町の金華山の麓)
かつては竹中重治(通称:半兵衛)の屋敷跡であったが、当時は既に空き屋敷であったようだ。境内奥の「三光稲荷社」は、重治が守護神として祀り信仰していたと伝わる。昔から人々は「妙照寺」を親しみを込めて、「さんこうさん」と呼び「三光稲荷社」への参詣者も多い。
落梧をはじめとする岐阜の蕉門の人々の依頼で京都に向かった己百(7代目住職:日賢上人)は、「しるべして見せばやみのゝ田植歌」の句を芭蕉に贈った。これに対して芭蕉は「笠あらためん不破のさみだれ」の脇をつけた。
このような師弟の心の交流の後、己百の案内で芭蕉は1688年(貞亨5年)6月8日に妙照寺へ入り、約一か月余り滞在した。
「あかざ」は一年生の雑草で生長が早く、高さ1m程度に達し秋には木質化する。写真の「あかざの杖」は、当時の物とは違います。
「やとりせむ あかさの杖に なる日まで」
挨拶句として松尾芭蕉が、後に妙照寺住職となる己百に贈った句である。
「己百をはじめ人々の心のこもったもてなしをうけ居心地がよい。今の自分の気持ちは、庭先に小さい花をつけているあかざが、秋になって杖に使うことができるようになるまでゆっくりと世話になりたい」というもので、感謝の気持ちを読んだものである。
「奥の細道むすびの地記念館」は松尾芭蕉と親交のあった俳人:谷木因邸跡に、2012年(平成24年)4月8日にオープンしました。(「おくのほそ道」の結びの地:岐阜県大垣市)
「奥の細道むすびの地記念館」の向かい側の、水門川のほとりにあります。
「芭蕉元禄大垣楽市・楽座まるごとバザール」は毎年11月に開催され、私が行ったのは第25回だったと記憶しています。約120のテントが連なる会場では、地域の特産品販売やステージイベントを楽しめます。