映画鑑賞:利休(2020.6.13)
はるばる日本にやって来た南蛮人を接待する「織田信長(松本幸四郎)」は、この世は本当に丸いと思うかと聞く。茶人は見た事がない・・「信長」はこの世を見たことがない?と笑う。・・U-NEXTでのテレビ画面撮影。
監督:勅使河原宏 脚本:赤瀬川原平・勅使河原宏
原作:野上彌生子 配給:松竹
公開:1989年9月 上映時間:135分
ステファノ(ルイ・マルケス)は「織田信長」の遺品の地球儀を持って「利休(三國連太郎)」の元を訪ね、「信長」の最後の状況の事を話す。・・大地に果てはない
1586年(天正14年)9月9日、「羽柴秀吉(山崎努)」は「正親町天皇(堂本尚郎)」から豊臣の姓を賜り、12月25日には太政大臣に就任し、家臣等の前で「最高の地位に達し」・・やがて日本国は、そこにいる弟「秀長(田村亮)」に譲る。これからは朝鮮・唐を征服すると話す。
「秀吉」は「利休」を訪ね、「正親町天皇」に茶を献じるための指導を受ける。
京都御所に置いてお茶の催しが開催され、正装の公家たちが並んでいる。右奥には「誠仁親王(熊倉功夫)」と「和仁親王(中村獅童)」が、正装にて正座をしている。
「利休」と正装した「秀吉」は正座して、京都御所において「正親町天皇」に茶を献じた。緊張しながらお茶を入れたが、天皇はそれを飲んだ。・・ほっとする「秀吉」
金の茶室の一件を腹に据えかねた弟子「山上宗二(井川比佐志)」は、「利休」から袂を分かった。
秀吉の母「大政所(北林谷栄)」は、「秀吉」・弟「秀長」と家族の話を語り合う。
「茶々( 山口小夜子)」の妊娠中「石田三成(坂東八十助)」等側近達は、武士の物だった茶の湯が女や民衆に広がる事で、「利休」が高名になっていく危険性を説いた。
「秀吉」は、「茶々」の妊娠を大変に喜ぶ。
「利休」が弟子の元へ訪ねると画家が来ており、山門に立てるための「利休」の木像の下絵を描いてもらおう言う話が出ていた。
「利休」を気遣う秀吉の弟「大納言秀長」は、彼に茶碗の世話を一つ頼んだ。しかしその後病気で亡くなってしまい、「利休」を理解する人がいなくなってしまった。
一人で「秀吉」の元を訪れた「山上宗二」は、「秀吉」から召し抱えると言われても、小田原の「北条幻庵」との約束があると頑なに拒み、首を落とされた。「利休」はそれを後から知り嘆いたが、中にはそれを責める弟子もいた。
山門に飾る「利休」の像が出来たので、「利休」と弟子たちが集まり、像を初めて見る事となった。
「秀吉」は唐御陣に難色を示す「徳川家康(中村吉右衛門)」が、「伊達政宗」と癒着していると怪しみ、茶会で緑色の毒で暗殺する計画をした。「家康」が上洛し「利休」の家で招いてもてなしたが、彼は毒殺には加担せず「家康」は茶事を終え無事に三河へ帰った。
山門の木像の事を怒り、さらに大名の多くは唐御陣を渋っていると言うと、「秀吉」は怒って帰った。「利休」に京を離れ、堺屋敷に閉居するよう命じた。
「利休」の木像は、壊されて吊るされた。
「利休」の元に何とか「秀吉」に詫びの言葉を取り次ごうとする者から手紙が来たが、頭を下げる事は何もしていないと、妻「りき(三田佳子)」が涙ながらに訴えたが「利休」はお礼だけを返した。
詫びない態度に怒った「秀吉」は、「利休」に切腹を命じた。
前田利家や、利休七哲のうち古田織部(嵐圭史)・細川忠興(中村橋之助)ら大名である弟子達が奔走したが助命は適わず、上杉景勝の軍勢が「利休」を船で、武者の亡骸の立つ竹林の中に連れて行った。天正19年2月29日(現:1591年4月22日)に、自刃をした。・・歴史では「聚楽屋敷内」で切腹となっている。