旅:日本の街道15 奈良・初瀬街道2-1(2020.9.28)
「初瀬街道」は初瀬から名張を経て「七見峠」を越え、阿保に入り伊勢地を経て「青山峠」を越え、津市から松阪市六軒に至る約14里17町の街道です。
以前は「参宮表街道」とも呼ばれ、現在の桜井市・宇陀市・名張市・伊賀市・津市・松阪市を通り、現在は国道165号が「初瀬街道」と呼ばれる事がある。
古代からの道で「壬申の乱」の際、大海人皇子(天武天皇)が通った道でもある。大和と伊勢神宮とを結ぶ道路のうち、比較的平地が多い街道として良く利用された。
「伊勢参宮街道」に合流し、難波・大和と伊勢を結ぶ重要な街道でした。
江戸時代には国文学者:本居宣長も歩き、その様子は彼の著書「菅笠日記」に記されている。
「桜井」は日本で最も古い神社の一つとも言われる大神神社(三輪)・長谷寺(初瀬)・の談山神社(多武峰)・等弥神社等の由緒ある社寺も数多く見られる。
土舞台(現:桜井公園)は日本芸能発祥の地と言われ、「万葉のあけぼのの地」などと呼称される事もある。
「初瀬」は奈良県桜井市の地名で古くは「はつせ」と呼ばれ、「泊瀬」「始瀬」とも表記した。
『万葉集』「三諸つく 三輪山見れば 隠口の 泊瀬の桧 原思ほゆるかも」
「長谷寺」の創建は奈良時代の8世紀前半と推定され、創建の詳しい時期や事情は不明である。寺伝によれば天武朝の686年(朱鳥元年)僧:道明が初瀬山の西の丘(現在:本長谷寺)に三重塔を建立し、続いて727年(神亀4年)僧:徳道が東の(現在:本堂の地)に本尊十一面観音像を祀って開山したと言う。(伝承)
大和と伊勢を結ぶ「初瀬街道」を見下ろす初瀬山の中腹に本堂が建ち、初瀬山は牡丹の名所で4月下旬~5月上旬は150種以上で7.000株と言われる牡丹が満開になる。
古くから「花の御寺」と称され、『枕草子』『源氏物語』『更級日記』等多くの古典文学にも登場する。『源氏物語』の玉鬘の巻に登場する二本(ふたもと)の杉は現在も境内に残っている。
平安時代中期以降、観音霊場として貴族の信仰を集め、1024年(万寿元年)には藤原道長が参詣しており、中世以降は武士や庶民にも信仰を広めた。
「大宇陀」は古代には「阿騎野」と呼ばれ、宮廷の狩場となった。
柿本人麻呂は「阿騎野」で「東(ひむかし)の 野に炎(かぎろひ)の 立つ見えて かへり見すれば 月傾ぬ」という和歌を詠んでいる。
『日本書紀』には「菟田野(うたの)」と記され、薬草の採取(薬猟)や栽培・生薬製造が江戸時代にかけて栄えた。
「宇太水分神社」は宇陀市菟田野古市場にあり、大和の東西南北に祀られた四水分神社のうち東に当たるのが当社とされる(他の3つは都祁水分神社・葛木水分神社・吉野水分神社)。・・以前は雨乞い、今は子供を守り育てる神。
宇陀地域には他に2つの水分神社があり、宇陀市榛原下井足(はいばらしもいだに)の宇太水分神社を「下社」、宇陀市菟田野上芳野(うたのかみほうの)の惣社水分神社を「上社」、宇陀市菟田野古市場の神社を「中社」とも称する。
「仏隆寺」は平安時代前期の850年(嘉祥3年)に空海の高弟:堅恵(けんね)により創建されたと伝わるが、それ以前に奈良の興福寺:修円が創建したとも言われる。
「室生寺」の南門として本寺と末寺の関係にあり、 空海が唐から持ち帰った最古の茶を栽培したと言われ、大和茶発祥の地とされる。
宇陀市の「墨坂神社秋季渡御行列」は、秋季大祭の中で行われる神聖な行事で、「墨坂大神」が元々鎮座していた場所(伊勢街道の西峠:天ノ森)に建つお旅所へ渡御巡行するものです。
環御の際には、赤楯・赤矛・太刀などを奉持し、衣冠束帯・鎧・冑を身に着けた武者や子供達がひく神輿が行列を成します。
「大野寺」は宇陀市室生大野にある真言宗室生寺派の寺院で、伝承では681年(白鳳9年)役小角(役行者)によって草創され、824年(天長元年)に空海が堂を建立して「慈尊院弥勒寺」と称したと言う。