木曽三川歴史探訪(2020.10.18)
「木曽三川歴史探訪」でJR岐阜駅から安八町中央公民館に観光バスで向かったが、バスの中で「中山道加納宿」のメンバーと久しぶりに遭遇しました。
途中1976年(昭和51年9月)の台風17号で長良川が決壊した、安八町大森の決壊現場に立寄り説明を受けました。
写真の右側の長良川堤防が、決壊したと思われます。
午前10時からの講演を聞くため、観光バスを下車して「安八町中央公民館」の会場に向かいました。
黒野城と加藤貞泰公研究会:会長 河口耕三氏が、「1600年頃安八は加藤貞泰公の領地だった」と題して、発表を行いました。(私もメンバーとして参加)
発表を加藤貞泰公の家紋が入った衣装で、黒野城と加藤貞泰公研究会:会長 河口耕三氏が行った。
加藤貞泰公は父:加藤光泰(甲斐国24万石)が没後、黒野へ4万石(現:岐阜市黒野)で国替えとなった。
関ケ原合戦(1600年)後の慶長時代、領内への洪水を防ぎ、農地の生産性を高めるために、安八郡大明神の佐渡川(揖斐川)や長良・鷺山の長良川に堤を築いた。・・「尉殿堤」