関ケ原合戦場見学会①(2023.6.22)

黒野城跡近くに集合後コンビニで昼食用弁当を購入し、最初の目的地「徳川家康最初陣地」に到着しました。・・大雨です。(午前10時38分)

関ケ原合戦「史跡めぐり」・・一般社団法人 関ケ原観光協会チラシ参照

「関ケ原合戦」時と同じように大雨の中、桃配山「徳川家康最初陣地」に登って行きました。(午前10時40分)

陣地の上から見た写真が、大型パネルにして設置されています。(午前10時41分)

史蹟「関ケ原古戦塲 徳川家康最初陣地」の大きな石碑が、桃配山の中腹に設置されています。(午前10時45分)

何故かその近くに、桃配山「徳川家康本陣古趾」の石碑も有ります。・・ダブるので纏めたら?(午前10時45分)

桃配山の中腹から、周りの景色を仲間と眺めました。・・「関ケ原合戦」の時も雨が降っていたと言われています。(午前10時47分)

「壬申の乱」(672年7月)の勝者:大海人皇子(おおあまのおうじ)も、ここに陣を置いたと言われています。(午前10時48分)

戦況を好転させる必要を感じた家康は、前線近くで東軍諸隊を鼓舞するため、桃配山を捨て、三成が陣を置く笹尾山の正面まで本陣を進めた。・・案内板参照(午前10時49分)

次に向かったのは、竜女伝説の有る「十九女池(つづらいけ)公園」です。(午前10時57分)

他のメンバーは「十九女乃宮」の鳥居の前を、雨の中急いで歩いて行きます。・・私は立止り見ていました。(午前10時58分)

「十九女池と竜女伝説」の案内板が設置されているが、変色して良く見えません。・・今は昔当宿東町地区を時折甘才前後の美女が笛を吹いて歩き・・案内板参照

「十九女池」(つづらいけ)の一部を、東海道新幹線が通っています。・・ドクターイエローは通過しないかな?(午前10時59分)

「つづらひめのふえ」話 むかし むかしの ことやけど よふけて ひとりの おひめさま としは じゅうくの べっぴんで・・案内板参照
 (午前11時)

次に向かったのは「本多忠勝陣地跡」ですが、民家の裏にあるようで細い道を歩いて行きます。(午前11時8分)

今回関ケ原散策を企画した名知さんより、説明を受けました。・・住宅の裏にあるため、住民の方は大変ですね。(午前11時9分)

周りを石柱と金属棒・鎖に囲まれて、十九女池西?「本多忠勝陣地」の石碑が置かれています。(午前11時11分)

「関ケ原の戦い」では、東軍の軍監として約五百の兵を率いてこの辺りに布陣。・・案内板参照(午前11時11分)

「岡山烽火場(おかやまのろしば)」に向かう途中の電柱に、加藤貞泰(設置:黒野城と加藤貞泰公研究会)の案内板が有りました。・・数年前ここで記念写真撮影。(午前11時23分)

「金刀比羅神社」の前を通り、「岡山烽火場」に歩いて向かいます。(午前11時36分)

徳川家康軍に加わった讃岐の領主 生駒一政公は、このとき捧持してきた「金刀比羅宮」(香川県琴平町)の祭神 大物主神の御神像を松の枝にかけ戦勝を祈念した。・・案内板参照