「常磐歴史研究会」:船田合戦関連の地を探索①(2021.6.7)

「長良天神神社」は後鳥羽院の承久年中に、斎藤帯刀左衛門尉親頼が、美濃国目代に任ぜられ、美濃斎藤家の祖となるや斎藤一族の本拠地である加賀敷地で氏神として祀られていた天満宮を美濃の地十五ケ村に勧請したと伝えられ(濃陽諸土伝記)長良天神もその一社であります。(長良天神神社の参拝のしおり参照)

西側の鳥居

我々二人は西側の鳥居から入り「神門」まで来て、社務所及び拝殿に向かって歩き始めました。

最初にここに来た理由を話し、僅かながらの「米」をお供えとして渡しました。(「常磐歴史研究会」の名刺とともに)
「船田合戦」の武将が関係してしている事を確認し、知らなかった事も詳しくお聞きしました。(参拝のしおりの内容)

社務所

お礼で写真の「五穀紅ごはん」等を、頂きました。・・ありがとうございました。
副会長さんは、「お守り」も購入されました。

懐かしき、「丸美屋」

寛正年間(1460年~1466年)に斎藤帯刀左衛門尉利藤(斎藤利藤:斎藤利国と異母兄弟)が斎藤氏の氏神として「本殿」を造営し、永正年間(1504年~1520年)に斎藤帯刀左衛門尉利安(斎藤利安)及び長井越中守長弘(長井長弘)が修復した。・・同一人物とも言われる。?

「拝殿」

「拝殿」の天井には、色々の絵が描かれています。

境内には、「正一位辰山稲荷大明神」があります。・・ここをくぐると小道を挟んで、階段の上に祀られている。(誰かが古墳の上にと投稿・・事実なのか❔)

「拝殿」の東側には、「さざれ石」が置かれています。

暑い中を歩いたので参道に出店していた店で、「かき氷」を食べて休憩を行った。・・400円と言われたので800円払おうとすると、何と二人分であった。美味しくて安い!!・・以前は「鏡島弘法」にも出店していたそうです。

南側の鳥居・・「拝殿」は北にある