歴史調査:南泉寺①(2024.3.8)

岐阜バス「昼得きっぷ」で、岐阜バス「山県バスターミナル」に向かいました。(午前10時29分)

土・日・祝日が使用できず、平日も10時~午後4時と制限が有り利用しにくい。・・市民よりも岐阜バス対策。

「南泉寺」まで行くには私はタクシー・コミバス・徒歩しか方法がなく、1時間20分後のコミバスで行く事にした。(午前10時30分)

時間があるので「山県バスターミナル」隣の、「山県ばすけっと」を覗いてみました。(午前10時31分)

山県市のお土産等を中心に販売しており、奥には食堂「山県ごはん」も有ります。(午前10時45分)

近辺を散策しましたが、「㈱水生活製作所 高富工場」が有ります。・・シャワーヘッド等を製造・販売(午前11時6分)

さらに北に向かうとスーパーが有りますが、建物には店名が有りません。・・タチヤ山県店と判明(午前11時7分)

コミバスに乗る為早めに戻って来ましたが、ハーバス伊自良・大桑線のバスが遅れて到着。(午前11時55分)

「大桑小学校」バス停で下車して、「南泉寺」に向かいました。(午後12時15分)

「瑞応山 南泉寺」に到着したが、土岐政房の子・頼武の長男:頼純(妻:濃姫❓)の墓を探します。・・以前来たが見つからず。(午後12時16分)

「美濃守護 土岐氏 最後の居城:大桑城」の、旗が立てられています。(午後12時17分)

石碑には、奉詠 南泉寺 「やすかれといのる心も・・」と刻まれてある。❓(午後12時17分)

左右の道の真ん中に、「竜宮門」があります。・・潜らないで右から歩きました。(午後12時18分)

土岐頼純の墓を確認のため前方の建物に向かったが、檀家の人達が出て来て聞く事が出来ました。(午後12時18分)

沢山の墓石が有りますが、殆どの墓石が独特な形をしています。(午後12時21分)

土岐家の墓を見つけましたが、この墓ではないようです。(午後12時24分)

「美濃守護職 土岐家累代総供養塔」を、やっと見つけました。・・多分これです。(午後12時25分)

供養塔の下には、初代:土岐頼貞公・二代:頼遠公・三代:頼康公・四代:頼行公と彫られています。。・・頼遠公の法名が無いのと頼純公は(午後12時25分)

色々と歩き回り元の場所に戻り見たら、五代:頼忠公・六代:頼益公・七代:持益公・八代:成頼公と彫られています。・・七代だけ「頼」が付かない。❓(午後12時41分)

さらに回って下を見たら、九代:政房公・十代:頼純公・十一代:頼芸公と彫られています。・・九代:政房も「頼」が付かないが、何か有るのか。❓(午後12時43分)

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